God Speed ! ~ 風、しましょ!

風の向くまま、カメラを持って旅に出かけましょう!
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梅に寄せて

大宮公園の梅_EP1_01

★ Olympus Pen E-P1/M. Zuiko Digital 17mm F2.8


   二月二日に、守の館に會集(つど)ひて宴(うたげ)して作る歌一首


   君が行(ゆき) もし久にあらば 梅柳 誰とともにか わが蘰(かづら)かむ


     守大伴宿禰家持

     (萬葉集 巻第十九)








梅とも大伴家持ともあまり縁がなさそうですが...(^^;
今日は、こんな曲を一緒にいかがでしょう♪
(お好みでどうぞ)

 こちらをクリックしてね


ここでいう「守(かみ)」とは、越中守(えっちゅうのかみ=越中国の国守)のことです。

作者の大伴家持(おおとものやかもち)は、当時越中守として都から赴任していました。
越中国は現在の富山県にほぼ相当し、国府が置かれたの場所は、今日、高岡市となっています。


大伴家持は、大伴旅人の息子で、万葉集を代表する歌人の一人。
万葉集の編纂に当たっては、彼こそ「編集長」だったのではないかと考えられています。


(大意)
あなたのご旅行がもし長いなら、三月に咲く梅と柳とを、となたと共に蘰にしましょう。


万葉集で梅や桜を詠んだ歌には、よく「手折(たお)る」ということばが使われています。
当時は、花を愛でるには、花が咲いた枝を折り、それを贈ったり、髪飾りにしたりということがごく一般的だったようです。
「蘰」(かづら)は、どうやら、枝などで作るカゴのようなものらしいです。
(↑ イマイチ自信なし(^^ゞ)





大宮公園の梅_EP1_02

★ Olympus Pen E-P1/Zuiko Digital 35mm F3.5 Macro


   み冬つぎ 春は来(きた)れど 梅の花 君にしあらねば 招(を)く人もなし


     大伴宿禰書持

     (萬葉集 巻第十七)


この歌は、「追ひて大宰の時の梅花に和(こた)ふる新しき歌六首」という詞書きが添えられた六首の歌の一つ。


「大宰の時の梅花」とは...

天平二年正月、当時、大宰府の長官だった大伴旅人は自邸に知人を招き梅を愛でる宴を開きました。当ブログでも何度か紹介していますが、万葉集にはその折りに詠まれた三十六首が収められています。
10年を経て、その時を回想して作られたのが上の歌です。


冬が過ぎ春の到来。梅の花も見頃になったけれど、誰よりもあなたと一緒に花を愛でたかった。
あなた以外を招いて花見をしようという気にはなれません...

父・大伴旅人が大宰府で催した宴にもし自分も出席していたなら...という気持ちで詠んだ歌。


作者の大伴書持(おおともふみもち)は、旅人の息子で、家持の弟(同母弟)です。

父や兄を歌の師として創作に励んだようです。
兄もとてもよく弟の面倒をみていたらしく、書持とよく歌のやりとりなどしていたと伝わっています。

しかし、残念なことに兄よりも先に世を去ってしまい、万葉集にもそれほど多くの歌を残していません。




弟・書持をとてもかわいがっていた家持は、越中守として赴任中に、遠い都から弟の訃報を伝えられました。

若くして逝ってしまった弟の死を嘆く長歌が万葉集に収められています。


任地の越中へと旅立つ際、弟は都の外れまで見送りに来てくれ、無事に帰るから心配せずに待っていてくれと話した時の想い出、遠く離れた地でいつもどうしているかな、会いたいなと思っていた気持ち、そして都から使いがやってきたというので飛び上がるような嬉しさで話を聞くと、何ということか、これはたわ言か、狂っているのか、という信じられない悲報... 「逆言(およづれ)の 狂言(たはこと)とかも ...」

そのような弟への想い、深い悲しみが切々と詠われた長歌です。

   ※ 関心のある方は、「 万葉集 大伴家持 3957 」 でぜひ検索してみて下さい。


そして、その長歌には短歌が二首添えられています。





大宮公園の梅_EP1_03

★ Olympus Pen E-P1/M. Zuiko Digital 17mm F2.8


   眞幸(まさき)くと 言ひてしものを 白雲に 立ち棚引くと 聞けば悲しも


     越中守大伴宿禰家持

     (萬葉集 巻第十七)


別れ際に自分は無事でいるから心配するなと言ったのに、自分ではなく、なんと弟の方が白雲となってしまい棚引いていると聞く。まことに心悲しいものだ。


自分のことではなく、どうして弟の身のことをもっと気にかけてやれなかったのか...あの時、すでに体をこわしていたのだろうか、なぜそれに気付いてやれなかったのか...という深い自責の念、悔しさが感じられます。


そして、もう一首。





大宮公園の梅_EP1_04

★ Olympus Pen E-P1/M. Zuiko Digital 17mm F2.8


   かからむと かねて知りせば 越(こし)の海の 荒磯(ありそ)の波も 見せましものを


     越中守大伴宿禰家持

     (萬葉集 巻第十七)


こうなると分かっていたなら、越の国へ呼んで(都にいては見ることのできない)海の荒々しい波も見せてやりたかったものを...


あれもしてあげたかった、これも見せてあげたかった...

愛する肉親を失って思う無念さ、口惜しさ。
今も、そして1300年前の昔も同じです。


(以下、ひとりごと)

冒頭のリンク先は、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。
演奏は、イングリッド・フジコ・ヘミング。

たくさんのピアニストが弾いていますが、「かつて自分がお仕えした幼い王女様への限りない愛おしさ、そして、亡くなれたことへのおいたわしさ、深い深い悲しみ」をこれほど表現している演奏は他にはないかと。

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Comment

hana 123さん
編集
こんばんは。
いつもありがとうございます。
今日は最近にしては珍しく穏やかなお彼岸の中日となりました。
こちらではようやく梅も満開になり、遅れていた早咲きの桜も咲き出しました。
ただ、ソメイヨシノは順調なようで、例年通りに咲くという話ですよ(^^)
2012年03月20日(Tue) 18:46
No title
編集
おはようございます。
昔の人は情緒をたのしみましたよね。今の子供は桜や梅をみてもあまり関心がありません。
お金やゲームにはすごく関心があります。
しあわせすぎるのでしょうか。

なかなか暖かくならないですね。お忙しく過ごされていると思いますが、歌の解釈までしていただくとありがたいです。
2012年03月20日(Tue) 09:56












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