God Speed ! ~ 風、しましょ!

風の向くまま、カメラを持って旅に出かけましょう!
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梅に寄せて (その2)

大宮公園の梅_EP1_05

★ Olympus Pen E-P1/Zuiko Digital 35mm F3.5 Macro


   防人に 行くは誰(た)が背と 問ふ人を 見るが羨(とも)しさ 物思(ものもひ)もせず


     作者不明

     (萬葉集 巻第二十)





「防人に行くのは誰の夫なの?」ときいている人を見る羨ましさよ。物思いもせずに。
(私の夫は防人に行かなくてはならないので私の胸はやぶれそうなのに。)


防人(さきもり)として徴用され、関東から遠い九州へと夫が行ってしまう。

昔の旅は命がけだったとよく言われます。
まして、この「昔」は、思い切り「昔」。

「ミカド」がおわす都よりも、もっと遠いところへわが夫が連れて行かれる。
その不安はいかばかりかと。。





大宮公園の梅_EP1_08

★ Olympus Pen E-P1/Zuiko Digital 35mm F3.5 Macro


   足柄(あしがら)の 御坂に立(た)して 袖振らば 家(いは)なる妹は 清(さや)に見もかも


     藤原部等母麿

     (萬葉集 巻第二十)


足柄山の坂に立って袖を振ったなら家にいる妻ははっきりと見るだろうか。

「藤原部(ふじわらべ=藤原氏の領地)」に住んでいた「ともまろ」さんの歌です。
やはり防人として徴用された人の歌。

そんな遠いところで手を振ったところで、見えるわけなど無いのに...
愛する人を後に残し、後ろ髪を引かれるように任地へ赴く。
せめて最後にもう一目だけ...という想いでしょうか。


ちなみに...

足柄山といえば金太郎でおなじみの山ですが(^^;
現代で言うところの箱根外輪山の北側。
いわゆる「足柄山」(本当は山ではなく峠なのですが)には官道が整備され、関所が置かれていました。
「関東」ということば、どうやらこの「関の東」という意味で使われたのが語源のようです。





大宮公園の梅_EP1_06

★ Olympus Pen E-P1/Zuiko Digital 35mm F3.5 Macro


   色深く 背なが衣(ころも)は 染めましを 御坂たばらば 清(さや)かに見む


     妻物部刀自賣

     (萬葉集 巻第二十)


これは、その奥さん(めもののべのとじめ)が詠んだものと伝えられています。


夫の衣はもっと濃い色合いに染めておくのだった...
そうすれば、足柄山の坂をお通りになるとき、はっきりと見えるだろうに。

この山(峠)を越えると、相模国から駿河国へ。
そして、もう姿は決して見えないところに行ってしまう...


武蔵国(関東平野)からは、足柄山はおそらく当時の富士山の手前に見えていたのでしょうね。

(今も、関東平野からは富士山の手前をさえぎるように山塊が東西に延びて見えますよ。)





大宮公園の梅_EP1_07

★ Olympus Pen E-P1/Zuiko Digital 35mm F3.5 Macro


ところで...

万葉集をつらつら眺めているのが好きなベルニナですが、読む際にちょっと気をつけなければいけないことがあります。

地形(というか、風景、地理?)です。


万葉集に収められている歌には、およそ1300年前(そしてさらに以前)の風景や、地形が詠み込まれており、現代の感覚で読むと ということも少なくありません。

特に、「富士山」がそうなんです。


今でこそ、穏やかで優美な姿を見せている日本一の山ですが、万葉集の歌が詠まれた頃の富士山の姿は今とは全く異なります。

7~8世紀頃の富士山とは、山頂あたりから絶えず噴煙をはき出している活火山なのです。
現代でいえば、浅間山や桜島のような雰囲気でしょうか。
山の形も、全く異なっていたことでしょう。

当時、足柄山から眼前にせまる富士山とは、いったいどんな姿だったのでしょうねぇ...

ちなみに富士山はその後、平安遷都(794年)の直後に大噴火を起こします。
そのために足柄山ルートが使えなくなり、南側の箱根峠経由のルートを新たに官道とした、ということを聞きました。

後世、「天下の険」として知れ渡る難所は、富士山の噴火によって(やむを得ず)生まれたものだったということでしょうか(^^;





大宮公園の梅_EP1_09

★ Olympus Pen E-P1/Zuiko Digital 35mm F3.5 Macro


   現(うつつ)には 逢ふよしも無し ぬばたまの 夜の夢(いめ)にを 継ぎて見えこそ


     大宰帥大伴卿

     (萬葉集 巻第五)



会えない、会う手立てとてない、と分かってはいても、でも、どうしても会いたい。

せめて、夢の中だけでも、顔を見せてくれないものか...


東国から徴用された男たちがまず向かったのは、「遠の朝廷(とおのみかど)」とも称された九州の大宰府。

大宰帥(だざいのそち=長官)だった大伴旅人とて、やはり、人の子。

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