God Speed ! ~ 風、しましょ!

風の向くまま、カメラを持って旅に出かけましょう!
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靖国神社 (その2)

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★ CONTAX Tvs/Vario Sonnar 28-56mm F3.5-6.5/RVP


   白河花見行幸に


   尋ねつる 我をや春も 待ちつらん 今ぞさかりに 匂ひましける


     新院御製

     (金葉和歌集 巻第一 春部)






この歌集で「新院」と呼んでいる人は、鳥羽院=鳥羽上皇のことです。


鳥羽院は、堀河天皇の皇子で、最初に「院政」を始めたとされる白河天皇(上皇)の孫に当たります。

父・堀河天皇の薨去に伴いわずか5歳で天皇に即位し、祖父の白河院が後見となりました。
(いわゆる、院政です。)





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★ CONTAX Tvs/Vario Sonnar 28-56mm F3.5-6.5/RVP


鳥羽天皇は20歳の時に長子である崇徳(すとく)天皇へ譲位し、自らは上皇(鳥羽院)となりましたが、実権は祖父の白河院がしっかりと握ったまま。


そして6年後に白河院が亡くなると同時に、晴れて(?)自ら院政を始めました。

祖父と同じ道を歩み始めたのでした。





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★ CONTAX Tvs/Vario Sonnar 28-56mm F3.5-6.5/RVP


後に、朝廷が真っ二つに分かれて都を舞台に内戦が始まりますが(保元の乱)、その原因を作ったのは、他ならぬこの人だったと言えるかもしれません。


ともに鳥羽院の皇子である崇徳天皇と後白河天皇は、母親も同じ...待賢門院ですが、長子の崇徳天皇は実は鳥羽院の父・白河院が実の父だという説があります。


そのためもあってか、崇徳天皇は父(鳥羽院)から疎まれることとなり、逆に寵愛された後白河天皇との間に確執が生まれ、それが取り巻きの貴族たちに波及し、ついにはそれぞれの配下の武士たちを集め、勃発したのが「保元の乱」。


とても乱暴な書き方をすると、こんな感じでしょうかね(^^;






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★ CONTAX Tvs/Vario Sonnar 28-56mm F3.5-6.5/RVP


昭和を代表するストーリーテラーである吉川英治の大著、『新平家物語』では、崇徳天皇(上皇となって崇徳院と呼ばれます)は、それほど政治的野心はなく、むしろ周囲の勢いに巻き込まれ旗印にされててしまった悲劇の上皇として描かれていました。


崇徳院は、保元の乱の後、逆賊とされ讃岐へ流罪となってしまいます。

『新平家物語』には、全編を通しての「陰の主人公」ともいうべき人物が登場します。
崇徳院の御所の水守だった阿部麻鳥(あべのあさとり)です。

麻鳥は、崇徳院を慕ってはるばる流罪の地へ院を慰めに出向くのでした。


その場面がとても印象的で、今でも「崇徳院」という人名を聞くとそのシーンを思い出します(^^)


あと、落語の『崇徳院』ね(笑)


それから後は、さらに新たな内戦=平治の乱を経て、平氏一門の栄華、源氏による鎌倉政権の樹立...さらに言えば、安宅の関で主君・義経を守るために弁慶が打った大芝居、奥州藤原氏の滅亡、鶴岡八幡宮の大銀杏での将軍暗殺...と歴史は大きくうねるのですが、その元となったのが、鳥羽上皇だったのかも(^^;






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★ CONTAX Tvs/Vario Sonnar 28-56mm F3.5-6.5/RVP



   人しれず もの思ふことは ならひにき 花にわかれぬ 春しなければ


     和泉式部

     (詞花和歌集 巻第九 雑上)

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